■経歴美容の専門学校を卒業後、都内のサロンで美容師として従事。知り合いからITの世界を知り独学でプログラミングを勉強し美容師と並行してサービスの立ち上げを経験。ヘアスタイリストとして海外での活動と並行してフリーランスエンジニアとしても開発に携わる。現在は日本でランウェイのヘアスタイリストとして、エンジニアとして、2つの大きな柱で活躍している。■美容専門学校時代ーー学生時代はどんな学生だったんですか?学校は都内の美容専門学校に通っていて、ファッション一筋の学生時代でしたね。バイトして高い服を買ったり、ヨーロッパのハイブランドの歴史や有名デザイナーについて調べることにひたすら没頭してました。そういう背景もあって当時は美容師を志していました。■美容師からエンジニアになるまでーー専門学校を卒業されてサロンへ就職した形ですか?そうですね。2年間の専門学校を卒業して、都内の美容室に入りました。かなり厳しい美容室だったので、精神的にも鍛えられましたね。そこで6年くらい働いた段階で、未来のために何かしなきゃなと思っていて、たまたま知り合いにIT社長がいたので会いに行きました。すごくいい暮らしをしていたので驚きましたし、憧れも感じました。初めてITの話を聞いたのもその知人からでしたね。話をしている中で、「そういうのって俺でもできたりするの?」という感じでフランクに聞いてみたら、「あ、できるよ全然」みたいな感じだったので、そこから知人に教えてもらいつつ独学でも勉強して、美容師をやる傍ら自分でサービスを作って、結果的に1日8万UU、月に60万PVほど獲得するようなサービスまで跳ね上がりました。ーーそこまでのサービスを美容師と兼業でやるのは、大変じゃなかったですか?サービスが上手くいくに連れてお金を稼げるようになってきたところで美容室はやめたのですが、その時にはもう体がボロボロでしたね。睡眠時間なんてほとんどなくて、昼は美容師、夜はコードを書いたり勉強したり、サービスの運営をやっていたので2日で3時間ぐらいの睡眠時間でした。大変だったんですが、働いていた美容室の体育会系的な厳しさがあったので、「絶対負けない!」という気持ちが自分を突き動かしていました。ーー美容関係のサービスだったんですか?いや、美容関係ではなくてメディア系のサービスです。勉強からサービス立ち上げまで全部自分でやりきりました。■海外への移住からフリーランスになるまでーー美容室をやめられた後、お仕事としてはエンジニアに?勤めていた美容室をやめた後、美容師やヘアメイクをやりながらサービスを運営していました。徐々に美容師の割合が減っていって、最終的にヘアメイクとサービス運営の2軸に落ち着いていきました。その後は、サービス運営をしながらロンドン、パリと移り住んで、パリコレやロンドンコレクションなどファッションの最前線で仕事をしていました。そこそこの年数暮らしていたので、英語もフランス語も話せるようになってましたね。ビザが切れたタイミングで一旦日本に帰ってきた時、たまたまサービスを欲しいと言ってくれている人がいたのでその方へ売ることにしたんです。そんな感じだったので手持ち無沙汰になっていて、自分で勉強しながら、経歴に興味を持ってくれたSIerさんからお仕事をもらって働き始めました。そこでのエンジニアとしての仕事にどっぷりとはまっていきつつ、もちろんヘアメイクの仕事も並行していました。ーーサービスを売ってSIerに…なかなかの急展開ですね!1年くらいした後、フリーランスエンジニアとして開発に携わりながらパリにもう一度渡ったんですが、ビザ取得ができなかったのでロンドンに住むことにしたんです。でも、しばらく経った時にコロナ禍になり、完全にロンドンが動かなくなってしまったので結局日本に戻ることになりました。■Senyouとの出会いフリーランスで受けていた開発が落ち着いたタイミングでフリーランスへ仕事を斡旋してくれる会社から紹介された会社へ参画して、そこの現場でテさん、平野さんに出会いました。その現場も結構すごかったんですよ。同じポジションに外注の人も入っていたんですけど、めちゃくちゃなコードが上がってきたり、期日に間に合わなくなりそうになったり大変で…(どうすんのこれ…?)って絶望的な状態になっていて。その時相談したのがテさんでした。実はこの状況になる前にテさんとちょっとだけ話すことがあって、「この人めちゃめちゃいい人だ!」と感じていたんですよね。テさんから的確なアドバイスをいただけて、背中も押してもらえたので、今まで積み上げたものを全部壊して一から作り直すことでことなきを得た感じですね。繋がりはそれがきっかけだったかなと思います。コロナ禍だったので大体2年くらい前のことです。ーーちなみに今までエージェントやSIerなどからお仕事をもらってきた中で、Senyouは違うなと思うことはありますか?これは井上さんと一緒に面談に行ったりして思ったことでもありつつ、現場での平野さんやテさんの印象でもあるんですけど、「血が通っている」というか「熱さ」みたいな魅力を感じました。仕事を一緒にするんだったらこういう人たちの会社としたいなと思いました。エンジニアは少ないので、いろんなところから声をかけていただいていたのですが、Senyouとやりたい気持ちが強かったので、最初は「時給ゼロでも働きたいです!」とテさんと平野さんに話した覚えがあります。■仕事への思いとこれからの夢ーー現在のお仕事について教えてください!Senyouさん経由で案件に参画していて、メガベンチャーのフロントエンドポジションで開発に携わっていますが、別でヘアスタイリストとしても活動してます。日本で開催されているコレクションでランウェイするモデルさんのヘアセットもしてますね。それこそテレビに出てくるような有名なブランドのモデルさんのヘアを担当させていただくこともあります。日本でも海外でも、エンジニアもヘアスタイリストもできる人ってなかなかいないですし、最終的にはどちらでも生きていけると思います。ーーエンジニアとヘアスタイリスト両方を確立するのは険しい道のりだったと思いますが、田中さんにとっての原動力はなんだったんですか?最初働いていた美容室で培ったハングリー精神というか、「絶対やってやる」というのが全ての原動力なのかな。実は僕はすごく人見知りで、必要以上に考えちゃうんですよ。こんなこと言ったら相手はどう思うかとか、これ言ったら相手に嫌な思いさせてしまわないかなとか、考えすぎちゃうところがあって。なのでスタイリストとして海外で身一つで営業をかける時も、エンジニアとしてやっていこうとした時も、「よし、やるぞ!頑張ろう!」と自分を奮い立たせないとできないんです。美容師時代は厳しい職場なこともあり「絶対見返してやる!」という思いだったのですが、今こうしてできるようになって段々と周りに感謝が伝えられるようになったなと感じてきました。とはいえまだまだ理想には近づけてないですし、まだ一つも夢は叶えられてないので、これからももっと成長していきたいです。ーーこれからやりたいことや、夢はありますか?今個人的に作っているアプリがあるのですが、結構力入れて作っているのでそれを作り切ったと言えるくらいにして世に出したいなと思っています。他にもITで言うとメルカリクラスのサービスを作りたいです。と言うのも、toCって夢があるなって思うんですよ。単純にいろんな人に使ってもらえますし、例えば電車に乗ってて隣に座っている全然知らない人が自分のサービス使ってたら超テンション上がるんじゃないかと。自分の全く知らない人が使っている、そんな世界を見てみたいんです。ヘアスタイリストとしてはVouge USのカバーストーリーでヘアを担当したいですし、大手ブランドのHERMES、CHANEL、Louis Vuittonなどのヘッドシェフ(ヘアデザインのトップ)として呼ばれるレベルまで突き詰めたいですね。欲張りなんですよ僕。なんでもやりたいしなんでもほしい。だからなんでもやってきてますけど、その中でもエンジニアの世界は本当に奥が深くて、今でも毎日悔しい思いをしてますね。細かいところでウジウジ悩むこともありますが、基本的に寝たら忘れちゃうので、失敗して凹んでからの切り替えは早い方かなと思っています。夢のない人生は終わってますからね、常に夢に向かって成長していきたいです。